大島青松園社会交流会館 ミッション&ポリシー

国立療養所大島青松園の歴史は、法律第11号「癩予防ニ関スル件」(1909年施行)とその関連法により香川県木田郡庵治村(現在は香川県高松市庵治町)に設置された、中国四国 地方8県連合立による公立の第四区療養所に始まる。その後、「癩予防法」(1931年施行)のもとで厚生省所管の国立療養所となり現在に至る。
日本国憲法のもとで公布、施行された新「らい予防法」(1953年)では、依然として隔離予防を第一としたハンセン病対策が進められ、多くの入所者の人生と可能性が奪われた。入所者の団体は、憲法が保障する基本的人権を、強制隔離政策が侵害していると訴え続け、「らい予防法」はようやく1996年に廃止された。
国立療養所では今や唯一の「離島」である大島青松園では、社会交流会館の運営をとおして、ハンセン病と国のハンセン病対策による人権侵害の歴史と現状、その中で支え合い、生き抜いてきた人々の「生」を伝えるために、史資料の収集・保存・調査研究を行い、成果の展示公開に努める。また、故人を悼み、想い起こし、偏見と差別が解消され、すべての人の人権が尊重されるよう願い、「社会」との交流の場所を設けることとする。

  1 . 正しい知識の普及啓発

ハンセン病をめぐる歴史と現状に関する正しい知識の普及啓発を促進します。
そのために、史資料とその調査研究を行い、成果を展示に反映させ、適切な解説や案内を担う場とします。

  2. ユニバーサル・ミュージアム(性別や年齢、国籍、障害の有無を問わず、誰もが利用できる博物館)と社会交流の実践

大島に生きる(生きてきた)人々をめぐって、療養所内外の様々な、数多くの人々が交流する機会を促進します。
そのために、社会交流会館を、可能な限り、誰もが使いやすく、安全で、居心地が良い場所とします。

  3. ハンセン病関係者の名誉回復、 故人の追悼、「人権の島」構想

大島におけるすべての生の尊厳を心に刻み、故人を追悼し、大島での経験と記憶を未来へと継承する「人権の島」を目指します。
社会交流館は、大島の歴史を語る道具、文書、記録、図書、証言、遺物、生活の痕跡等を収集・保存し、これら史資料の保管庫としても機能します。
 
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